2007-07-05

コンピュータリテラシー

学部1年生向けに、コンピュータリテラシーという講義を受け持っている。PCなどに触れたことの無い学生向けにコンピュータの使い方を教える授業だ。

うちの大学では、どうもUNIXを教えるのがデフォルトになっているらしい。研究室のサーバ管理をやっている関係でUNIXも分からないではないが、そもそも何故UNIXなのだろうか、という点は疑問だ。もちろんパイプ&フィルタを駆使すれば色々便利だという話や、UNIXの方がコンピュータの仕組みを意識する必要があるので学習効果が高いという話はあるが、イマイチ説得力に欠ける。Windowsでもいいのではないか。以前担当の情報系の先生と議論したのだが、結局のところMicrosoftがキライという程度の見識でしか無く、がっかりしたことがある。それは単なる宗教だ。僕は別にMicrosoftが好きなわけではないが、UNIX信者には呆れることがある。

特定の講義を批判するつもりは無いが、ある講義ではWebページを作らせているようだ。でも、今どきWebページを自分でデザインするなんてやらないんじゃないか、と思う。だってblogやSNSで十分自己表現できるではないか。何というか、手段が目的化し、それを習得させられることの無意味さといったら無い。これが大学というところなのかもしれないが。

コンピュータリテラシーというのは、何なのか。それは鉛筆の握り方を教える講義では無いはずだ。鉛筆を握ることによって、文字でコミュニケーションをし、思考を発展させることを教えなくてはいけないはずだ。それがコンピュータであれば、UNIXのコマンドを教える講義ではなく、コンピュータを使ってネットにアクセスすることによって可能になるコミュニケーションであり、思考の発展や創発ではないかと思う。コンピュータを使って、もっとクリエイティブに思考し「分かる」ことの楽しさ(アハ体験)をしてもらうことが目的だろう。そうでなければ、その辺のコンピュータ教室と変わらない。

もっと言えば、Web2.0的な講義であるべきかもしれない。学生が問題を提起し、学生が自然にグループを組み、学生が解決策を抽出し、学生がプレゼンテーションし、学生が評価する。学生の、学生による、学生のための講義だ。では、教官はそれに何ができるのだろう。

それは「正しく考えること」の補助に他ならない。本質的な問題を提起させられるように、適切なグループを組み上手にマネジメントできるように、問題を深く洞察し無理のない解決策を抽出できるように、上手にプレゼンテーションできるように、そして適切に評価できるようにしてあげることではないか。逆に言えば、決して答えが用意されている課題を出して、記入すればよいようになっている帳票を用意してあげることではない。これには、本当の意味での「正しく考える力」が教官に必要である。

そういう体験は、ゼミならできるけど、講義では難しい。でも、そういう風な講義ができるといいな。後期の大学院の講義でやってみるか。

さて、学生は期末試験にどういう解答を書いてくるのだろう。僕の講義をどう感じてくれたのだろう。毎週出したレポートの意味をどう咀嚼してくれたのだろう。授業評価のアンケートに興味はないが、学生が賢くなってくれたかどうかは、とても気になる。願わくば、僕の講義を聞いて一人でも多くの学生が賢くなって欲しいなぁ。

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